【発狂する裏庭】有吉修史(著)|壊した向こうに見えるもの


「今度本出すんですよ!」

あなたは友人にこんなこと言われたら、驚くのではないでしょうか?

フルタイムで歯科医師(院長で数件のクリニックを運営)をしながら、ラジオDJ、陶芸、活版印刷、古着と、多方面に触手を伸ばし同時進行している20年来の友人である木本氏に言われると、「お!やりましたね、面白そう!」とは思ったものの、さほど驚くことはありませんでした。(厳密には木本さんは編集者)

彼の日頃のぶっ飛んだ言動で免疫のある僕は、いつかはこういうこともあるだろうなと思っていたので。

しかし、「発狂する裏庭」なんて、よくもまあこんな大胆なタイトルをつけたもんだとちょっと心配しました。

死、恐怖などと同様に、「発狂」という負のイメージワードは本能的に不快感を抱かせる。
しかも木寺氏のこの写真ときたら(笑)

青空と呆けているようなヤギ。。。スッカスカだ(笑)

このスカスカ感が「無」を感じさせ「発狂する裏庭」というタイトルの気持ちワルさを増幅している。

ある意味ここまで出来上がっている表紙なので、中身がつまんなかったらそのギャップでダメージはでかい。

しかし、読み終えた今、それは取るに足らない杞憂でした。。。

この本の内容を実に的確に表している。
いや、もうこのタイトル「発狂する裏庭」しか考えられない。

脳内の触れたことのない部分をチリチリと引っ掻かれているような感覚。
それが心地よいのか、不快なのかよくわからない(笑)
たぶんもう二三度読めばわかる気がする。

レアなアーティストを追体験する

話は、武蔵野美術大学を卒業した有吉氏が北九州CCAで開催された、ジャン・リュック氏のワークショップに参加するところから始まる。

即興でジャン氏の足元に転がった蛾の死骸を使った作品が評価され、才能を見出された有吉氏はジャン氏の強い推薦でフランスのグルノーブル芸術学校へ渡ります。

フランスと日本でのアートの位置、捉え方、授業内容など、何から何までまるで別物。有吉氏は驚きつつも、日本では得られなかった自分の居場所を見つけます。


類は友を呼ぶじゃないけど、相当な変わりモンと推測される有吉氏(失礼!)には、そしてグルノーブルには同じような波長の愛すべきクレイジーが集まる。

血まみれのヴィディア、300年早かったジェラルド、そしてニタニタするジャン氏というユニークな登場人物によって、有吉氏の数奇な人生は彩られる。

発狂する裏庭とは、単にこの本のタイトルだけでなく、レアなアーティスト有吉さんを読者が追体験することが、狂気なのかなと思えました。

アートはパンクだ

映画にできそうな面白い体験記ばかりですが、(ファッションがライフワークである僕としては)特に「パープルプローズ」「スパイラルトライブ」「アーティストとは?」「洋服は、第二の皮膚」の章は、刺激的でした。


服好きには、有吉さんがマルタン・マルジェラと一緒に展覧会をやったというくだりは、心が踊るでしょう。

以前、有吉さんが製作したパンツや構想中のジャケットを拝見させていただいたが、着眼点と先を見越した視点が素晴らしく、「売るための服」ではなく「見るものに問う服」がそこにありました。

東京に行くと山ほどいる「アーティスト気取りのふぁっしょんデザイナー」の稚拙で薄っぺらい連中とは次元が違う(笑)

というか、マーケティング能力が低く何が求められているかわからない、かといって人の心を打ち抜き賛否両論を巻き起こすような伝わるものもない。それはデザイナーでもアーティストでもない、ただのペテン師。

そもそもアーティストとデザイナーは似て非なるもの。

デザイナーは、自分のキャリアや経験のフィルターを通して、顧客の要求に応じたものを的確にカタチにできる人。

アーティストは、既成概念や自分の過去を破壊し、思想や世の中の事象を言語外に表現する人。

つまりアーティストは、絵が上手いとか歌がうまいとかテクニック的なことではなく(テクニックも必要ではあるが絶対条件ではない)、自分の持っているもの、自分の世界観を壊し自己の解放求める者が、職業や年齢を問わずアーティストと呼ばれるのではないかと思う。

「アートは真理を追求するもの」という部分に我が意を得たり!でした。

なぜなら僕は、大好きだったmoongateを自らの手で壊しボロボロになり、今なにか見えつつあるからです。とはいえ、とてもアーティストと呼べるものではありませんが(笑)

壊すことから始まる。
岡本太郎の「芸術は爆発だ!」(古っ)じゃないけど、
自分の言葉で言うなら「アートはパンクだ!」(笑)

フランスの表と裏

多くの日本人は、フランスはどこまでも美しくお洒落な街並みが続くというイメージを抱いているのではないだろうか?


しかしそれは、表の顔しか見ていないと有吉さんはいう。
表があれば、当然裏もある。

裏といえば、ややマイナスの響きがあるが、フランス人の気質から生まれた愛すべき裏庭であり、これがあるからこそ、マスタベーションではなく人々を共感させ心を動かすアートが多く排出されているのだろう。

日本では、「細部に神は宿る」などの言葉からもわかるように、表裏なく隅々まで清く行き届いている状態を良しとする気質がある。それはそれで尊いことではあるけれど、逆に生き辛さを感じている人も多いのではないだろうか?

匿名の鎧をまとい罵詈雑言を浴びせる子供。

感謝という名の自慢話と己の常識を語る非常識なFBおじさんおばさん。

年々増える自殺者。。。

なんかおかしい。

誰だって、失敗や挫折はあるだろう。
完璧な人生なんて不自然。

失敗や挫折が許されない空気が、いまの日本にある。
それが閉塞感、生き辛さに繋がっているのではないかと思う。

闇を晒せ

NOBODY IS PERFECT
人生は天に帰るまで未完成のパズル。

もう表層ばかりを美しく見せようとするやめよう。
カッコつけるのをやめた瞬間から、あなたはカッコ良くなる。

不思議だけど、自分の弱みさらけ出すと強くなれる。
何も世界に向かって告白する必要はない。

誰か一人でいいから信頼できる人を見つけて、
抱えている闇を差し出して光を当てると、あなたは強くなる。

僕の心の奥底で静かに横たわる狂気をうっすら感じながら、
また最初のページから読み始めました。

追記:
今度、有吉さんに会ったら聞いてみよう。
8つのオッパイとはその後どうなったのか(笑)
気になってしょうがない(笑)

AKI yoshida
ネットショップの売上アップとスキルアップをサポートするSELENOGRAM(セレノグラム)代表。セレクトショップ実店舗を経営後、EC業界に専念。さまざまな業種のネットショップ運営に携わる。現在、某ブランドディレクターとNPO法人のWEB責任者も兼任中。

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